文市の小箱茶室ケーキ小箱LX紅茶読書自転車好み他 -イバラード-[耳すま]\ 伝言板リンク

耳をすませば

原作とアニメーション映画の遠すぎる距離


すてきなアニメーション映画

スタジオジブリの映画として有名な「耳をすませば」はとてもすてきな作品です。
特に、「イバラード物語」の井上直久さんが参加されているのが、ぼくには大きな魅力でした。
実は、ぼくは「耳をすませば」は原作の柊あおいさんのコミックスを先に読んでいました。
だから、ぼくにとっての「耳をすませば」の印象は、まず第一に柊あおいさんの作品なのです。
その意味で、アニメ映画版の「耳をすませば」はあまりにも原作とかけはなれていて驚いてしまいました。
アニメ映画版の「耳をすませば」は完成度も高く、原作にない魅力に溢れています。
ぼくはもちろんこちらも大好きです。

特に、多摩丘陵の実際の町の景色の取材に基づいた描写は、そこに育ったぼくにはとてもなつかしく、否応なく惹きつけられてしまうのです。


現実以上に現実なアニメション−町の描写

京王線聖蹟桜ヶ丘の駅周辺の景色からはじまる映画のオープニングは、踏切や道路など町の様子、そしておなじみの都下の団地の様子をまるで本当にあるとしか思えないほどリアルに描きます。
主人公の雫の住む団地の中の部屋は、おそろしいほどの生活感を表しています。10年後、20年後に見たら、資料としての価値を持つのではないかと思わせるほどです。
町の狭い道、坂、多摩市のものとわかるゴミ箱、それらは事前の綿密な取材と、スタジオジブリのアニメーション創りの力量とこだわりの賜物でしょう。
実際、映画を観た後で、ぼくも聖跡桜ヶ丘に行ってみましたけれど、図書館へ登るつづら折りの坂道とそれを短絡する階段は実際あります。
実写と異なるのは、しっかり取材する一方で、その風景をただ模写するにとどまらず、恐らく他の資料とも組み合わせ、現実的な町の描写を完成させているところで、現実を超えた現実の町の景色を創り出しています。


映画で追加されたもの−カントリーロード

原作コミックとことなり、アニメーション映画で追加された要素として、テーマソングでもある「カントリーロード」があります。
作中で、主人公の雫がこの日本語訳詞を行いますが、これは原作ではまったくない描写です。
あの、「コンクリートロード」も、もちろん原作にはありません。


映画で追加されたもの−イバラード

そして、この映画では、井上直久さんが美術面で参画されているのです。
雫が作中で書く物語、バロンとの架空の世界は、アニメーション映画では、まさにイバラードそのものです。
雫が丘の上から階段を駆け下りるシーン、「遠いものは大きく、近いものは小さく見える」イバラードと現実の聖蹟桜ヶ丘の町並みとが自然につながっています。
イバラード物語の新版が再版されたのも、これがきっかけなのではないかと思うと、ジブリの映画に関わったのはファンとして嬉しい限りです。
また、ご本人も、アニメーション映画作りはとても面白い経験だとおっしゃっておられました。


耳をすませば−原作の世界

そして原作です。
映画の方が有名になってしまったようで、原作を後から読んで違和感を持たれる方も多いようですけれども、もちろんこちらが先に描かれた作品です。
映画では、天沢聖司はバイオリン作りの修行にドイツに行ってしまう、という設定です。
そして、雫はあせりの中で物語を書いていきます。
しかし、原作はこのような話ではありません。
もちろん、映画は映画で甘さのないきっちりしたつくりなのですけれども、ぼくは原作の方がしっくりきます。


妖精や魔法使いの物語

原作の雫は、もちろん何にでも興味津々という感じのおっきな目の女の子ですけれど、まず、読書、それも妖精や魔法使いの物語を読むのが大好きな子なのです。
天沢聖司との最初の出会いのシーンで雫が「ヤなヤツ ヤなヤツ ヤなヤツ ヤなヤツ!!」と怒る原因も、「コンクリートロードはやめといた方がいいと思うよ」などという台詞ではありません。
「今どき妖精でもねェよな」です。


図書カードの出会い

でも、それは照れ隠しだったのです。
妖精をあざわらった彼が、実は、雫が図書室で借りだ童話の図書カードのほとんどに既に名前がある「天沢聖司」その人だったのです。
そう、原作の「耳をすませば」の二人は童話好きという共通項が軸になっているのです。
「いつまでも そんな本読んでるんじゃない」と言われても隠れて童話を読む天沢聖司の照れ隠し、そしてそれでも絵を描くことで自分を表現していることに感動した雫は、聖司に言われて、自分でも物語を書いてみるようになるのです。


童話好きの二人

童話や夢物語が好きな二人の出会いを描く原作コミックに比べると、アニメーション映画はその二人が魅かれ合う共通項の描写がおろそかにされているように思えて仕方がありません。
映画では、聖司が自ら作ったバイオリンを演奏し、雫が自ら訳詞したカントリーロードを歌うシーンがありますが、その程度です。
映画の屋上でのシーンでの聖司の告白は、それだけ聞くとまるでストーカーまがいですものね。(笑)


創作の重さと夢物語

映画の雫は、物語を書きあげるために苦しみ、悩みます。
創作の、生みの苦しみを、映画では強烈に描いていきます。
原作コミックでは、夢物語を読むだけでなく、書くことをはじめるにとどまっています。
そして映画よりも原作の雫の方が、しなやかな心をもっています。
それは子供だ、ということなのかもしれないですけれど。


耳をすませば 幸せな時間

コミックでは、実は続編があります。
「耳をすませば」より、構成を単純化したやや短めの作品です。

ちょっとネタバレですけれど、そのラストシーンの話です。

なんでもわかる猫の図書館で、雫は心の内側に捕われて時間を忘れます。
バロンに会って、雫の時を刻む時計は再び動き出し、地球屋に二人で戻ります。

「・・・さあ 幸せな時間をすて
 次の世界へ−
 ・・・でも もう少し ここで」

そうです。
映画のラストではプロポーズで終わっています。
けれど、原作では、

幸せな時間を、もう少し、

なのです。


「耳をすませば」
柊あおい
集英社
りぼんマスコットコミックス515
ISBN4-08-853515-4

「耳をすませば 幸せな時間」
柊あおい
集英社
りぼんマスコットコミックス841
ISBN4-08-853841-2

「耳をすませば」
近藤喜文監督作品
宮崎駿プロデュース・脚本・絵コンテ

文市の小箱茶室ケーキ小箱LX紅茶読書自転車好み他 -イバラード-[耳すま]/ 伝言板リンク

文市(あやち)=青野宣昭