文市の小箱茶室
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Link:2006/07/27 11 病院
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Link:2006/07/27 14 大谷吉隆墓
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Link:2006/07/27 15 島津陣跡
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今日は三ヶ月ごとの診察で休みです。先週採血したときの尿酸値は5.9で良好です。次の三ヶ月は毎日二錠飲んでいたザイロリック錠を一錠に減らしてみて様子を見ることになりました。診察は数分ですけれど、なんだかんだで待ち時間があるのが病院です。解放されて一度部屋に戻って薬などを置き、また外に出ます。出かけよう。
甲子園口まで行って、モスバーガーでテイクアウト、待ち時間に折り畳んで、モンベルのコンパクトリンコウバッグを被せて絞ります。青春18きっぷに一回目の日付印を押してもらい、輪行します。尼崎で慌ただしく乗り換えて新快速長浜行をつかまえます。
Link:2006/07/27 関ヶ原
うっかり、グローブとヘルメットを忘れました。いつも必ず装着しているので不安です。今日はちょっとポタリングなのでかまわないと言えばそうなのですけれど。
新車Bianchi FRETTA MONOCOQUEですけれど、装備は今まで通りです。
携帯型インフレーター(空気入)はBARBIERIのtitanoneです。以前使っていたターボモーフに比べ、高圧を入れるのが格段に楽です。しかもボトルケージ台座に取り付け可能な小ささです。
輪行袋はコンパクトリンコウバッグ。モンベルのペットボトルポーチにすっぽり収まります。サドルバッグに入れることもできます。
米原で下車、大垣への普通を待つよりも早いと、自転車を組み立てて出発します。
Link:2006/07/27 関ヶ原
醒ヶ井まで走り、水の宿駅で湧き水をボトルに汲みます。
国道をなんとか渡って中山道の宿場町、清流の里醒ヶ井に入ります。小川が流れています。奥に行ってみるとバイカモが群生しています。一斉に花開いていて綺麗です。今日の目的地。
バイカモは、キンポウゲ科の沈水植物。水温15度前後を保つ澄んだ水を好み、川の水底に群生し、流れに沿って這うように育つ色鮮やかな緑色をした多年生水草だそうです。手のひら状の葉が特徴で長さ約50cmの藻です。初夏から晩夏にかけて水面上に梅花様の白い花が咲きます。
ここ醒ヶ井は珍しく水が綺麗でバイカモの花を見られます。前から一度来たいと思っていました。
観光バスの団体がぞろぞろと降りてきました。バイカモは綺麗です。
奥の居醒の清水まで歩きます。この小川の水は、全てここの湧き水から出ているようです。豊富な水量です。
この先、国道に戻り、しばらく東を目指します。大型トラックが多いです。平日の昼間なので、トラックくらい走っていないと日本の景気が心配なくらいかもしれません。車通りが途切れたところでくるくる回してスピードを上げてみます。時速49kmまで回して、これ以上はやめておこうと足を緩めます。ちょうど、今須峠の手前でした。左に中山道の入り口があります。
Link:2006/07/27 関ヶ原
中山道に入ります。
少し進んで、黒血川のところを左折し、関ヶ原古戦場巡りを始めます。まずは大谷吉継の墓。
とちゅうからダートに。さらにハイキングコースの丸太階段です。担ぎです。
石田三成の親友、大谷吉隆は挙兵を再三思い止まるよう説得しましたが、三成の決意は変わりません。とうとう死を共にする決意で、死に装束でここ宮上に出陣してきました。壮絶な死闘の末、大谷吉隆は、首を敵方に渡すなと言い残して自害したそうです。
この墓は、敵方藤堂家が建てたものだそうです。
Link:2006/07/27 関ヶ原
慶長5年9月15日、霧が薄くなり視界も広がった午前8時、先鋒の福島正則は井伊隊の旗の動くのを見て、戦陣の手柄を取られてはなるものかと、宇喜多隊に一斉射撃を浴びせました。一方井伊隊も福島隊に遅れまいと、島津の陣に向かって攻撃を開始し、合戦の火蓋が切って落とされたとのことです。
近くに小西陣跡があります。行ってみます。
小西行長は、ここ北天満山に四千の兵を率いて参戦し、午前8時頃、戦闘開始の狼煙をあげ、見方に合図すると共に、西軍主力のひとつとして勇戦していたそうです。小早川等の裏切りは小西隊の混乱を招き、それに乗じた本多隊の襲撃で、兵士たちが敗退しはじめたのは午後1時過ぎのことだったそうです。
Link:2006/07/27 関ヶ原
少し進んで島津義弘陣跡です。
戦国の雄、島津軍四千人を率いた義弘は、北国街道を押さえるため、ここ小池村に陣をかまえました。
西軍がことごとく敗退し、周囲全てが敵となり、孤立して残された島津隊は、最後の賭け、前方の家康本陣正面への敵中突破を敢行します。義弘一人が逃げ延びればと、島津隊は大量の犠牲を出しながらも血路を開きました。
Link:2006/07/27 関ヶ原
関ヶ原ウォーランドを発見、早速入ってみます。
すげーぞここは!なくなる前に見ておくべし。
小早川秀秋の解説放送を流しているので、思わずベンチに座り休んで聞きます。
庭に武将の人形が妙なリアルさ加減で沢山戦をしています。多彩な登場人物です。武田信玄の亡霊までいます。後半、家康の首実検のあたりは凄惨な感じになってきます。いやはや、なんとも。
ウォーランドを出ると回り込むように北に出ます。
Link:2006/07/27 関ヶ原
石田三成陣跡です。
知らずに進み、担ぎで登ります。陣跡からは関ヶ原が一望できます。
担ぎで下りると、島左近陣跡もあります。
Link:2006/07/27 関ヶ原
笹尾山を背に少しだけ移動すると、関ヶ原決戦地です。最初桃配山に陣をとった家康は、午後には笹尾山の近くまで陣を移して押してきたわけです。黒田、竹中と、島左近など石田が激しく激突した場所です。
決戦地の少し先に、家康の床机場があります。
家康最後陣地です。首実験が行われた場所です。
Link:2006/07/27 関ヶ原
駅を過ぎ、けっこう距離を走って、ようやく家康最初陣地跡に到着です。
桃配山を担ぎで登ります。今日は担ぎ登山の日だな。
ここは国史跡です。
家康がテーブルと腰掛けに使用したと伝えられる岩に座って、ぷちぷち輪行記を綴ります。今日の関ヶ原古戦場巡りはここまでです。
もう17時近いです。関ヶ原駅に戻って、輪行で帰ることにします。
Link:2006/07/27 関ヶ原
今日のルート
ハンディGPS「etrex VISTA 日本語版」のトラックデータ(trk60727.trk trk60727.zip 9,597bytes)をカシミール3Dで表示し、注記したものです。
まあ、イラストマップのようなものなので、正確な道や細部は、別途正確な地図をご参照ください。
距離は32.1km、移動時間1h56m、停止時間1h51m、最高速度49.2km/h、移動平均速度は16.6km/h、全体平均速度8.5km/h、総上昇量404mでした。
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文市(あやち)=青野宣昭