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京都の庭園

輪行写真


サドル変更

南港で「たまごを抱えるような」お腹をひっこめたポジションの練習をしようとしたら、慣れないせいか、無理をしすぎたのか、走行距離30kmくらいでお尻が痛くなってしまいました。
そもそも、もっとロード寄りの自転車を買おうかなあと思っていたら、すば妻ARAIちゃんにあきれられたので、今の自分の自転車でできることを見直してみようと思ったのです。事の発端は、兵庫県を太平洋側から日本海側まで一日で走ってはどうかと言われ、地図を眺めると200km以上は優にあり、今の自分の力では到底無理だと分かり、ロードを買えばなんとかならないものかと思ったのが始まりです。
もっと速くもっと長距離をもっと無理なく走りたい。でもBD-1ではポジションが出せない、のではなく、自分のポジションが悪いから良い走りが出来ていないのではないか、と思い直してみたわけです。
自転車雑誌にカッコ良く写っている写真と自分を見比べると、ぼくの姿勢は坐禅を組むときのように臍下丹田を前に押し出すようにしがちになっていることが分かりました。もっと腰を立てて、たまごを抱えるようなポジションにしたらもっと速く長距離を走れるのではないかと思ったのですが。
座り方を変えるうちに、腰を立て気味にしてサドルの高さを今までより高くすると、ピタリと決まってペダルがくるくる回せるところがあるように思いました。ところが、慣れない姿勢にしたためか、お尻というか、肛門周りが痛くなりました。サドルに座る位置を色々変えてみても改善しません。BD-1Cのサドルは穴空きで尿道系統への圧迫は少ないですが、サドルの後ろ側は坂になって上がっています。どうもここに当たってしまうのが原因のような気がします。トレンクルにつけているBG Sports Menと比べるとそう思います。
そんなわけで、サイクルセンターサンワに行ってサドルを買って来ました。SPECIALIZEDのBG2です。BD-1Cに取り付けて近所を走った範囲ではなかなか良さそうです。これでいこう。


破損

BG2サドルで近所を走ったときに、いつものように組み立てて畳んだ輪行袋をシートポストに縛り付けたら、赤い後方反射版がポロリと折れて落ちました。
へ?そんな無理な力を加えたつもりもないのに。
以前買ってあった、電池で光る赤い後方反射版をなんとかとりつけることにします。たしかマウントができなかったから、サドルのレールの後ろ二本を結束バンドで縛り、そこにひっかけるようにしました。
そんなこんなで、今日は京都へおさんぽです。甲子園口の駅でBD-1を折り畳むと、なんと結束バンドで取り付けていた空気入れのマウント部品が割れて半分ももげています。ええっ!?
後方反射版のマウント部もインフレーターのマウント部品も、黒いプラスチックです。もともとの耐久性がこれくらいだったということなのかもしれません。耐久性の高いエンプラというわけではないのかも。


渉成園

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今日は「京都 自転車散歩」という書籍の、京の庭園めぐりコースをたどってみようと思っています。
まずは源融の六条河原院跡にある渉成園です。現在は真宗大谷派(東本願寺)の本山飛地境内になっています。拝観に料金はなく寄付となっています。たしか京都は320円だったっけ、と百円玉三つ投げ入れます。
もちろん、平安期の庭ではなく、承応2年(1635年)石川丈山が作庭し、二度の火災で焼け、慶応元年から明治初期に復興されたものだそうです。
パンフレットには「バラバラでいっしょ  差異をみとめる世界の発見」という真宗大谷派(東本願寺)の標語らしきものが書かれていました。

芬陀院雪舟寺

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東福寺の南西にあるお寺、ふんだいん、と読むようです。
受付には小学校低学年くらいの女の子がいました。300円払って上がります。
雪舟の庭、にしてはやたら小さいというかなんと言うか。今まで数ヶ所見たことのある雪舟の庭と比べると、借景や白砂がちょっと変だけど、でも確かに雪舟の庭っぽいです。面白いのは、二段になった亀島の中心になんか柱のような石が立っています。
雪舟が岡山から京都に上り芬陀院に寄寓していた頃、関白兼良公に涙の鼠のような絵を描くよう所望されたが、なかなか筆をとろうとしなかったそうです。ある日他の弟子たちと共に庭に出て石を動かし土砂を運んで何事かを始めた様子を鶴栖和尚が見ていると、次第に亀の形になって数日の後には立派な石組みの亀が出来上がりました。その夜庭先にて異様なる物音がするので鶴栖和尚が不審に思い戸の隙間から覗いてみると、石組の亀が手足を動かして這っている姿にびっくり仰天。関白兼良公は満悦したが、不安でならぬ和尚は雪舟に処置を依頼したところ、雪舟大笑して亀の甲に大きな石を突き立て、それより動かなくなったとのことです。
その後雪舟は画の修行がしたい一心で、渡明したそうです。


智積院

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取って返して上って、三十三間堂の向かいの智積院に行きます。
秀吉が愛児鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺を、家康が大阪城が落ちると共に能化住職に寄進したものが智積院です。
庭園の正面右側は祥雲禅寺時代に造られた雄大な庭園で、正面の築庭は智積院第七世運敞僧正によって修築されたものだそうです。
ついでに寄った宝物館ですが、ここには長谷川等伯一派の壁画が収められていました。桜の図は等伯長子久蔵25歳の作です。明るい春爛漫の八重桜です。久蔵は26歳で亡くなったそうです。
隣の楓図は、等伯が久蔵の死の翌年、自己の生命力を画面一杯に傾けて描いたと言います。
等伯は、上京して狩野派の門をたたいたが作風が合わず、一派と対立する人となったそうですが、楓図の激しさと強烈な色彩を観ると、それも当然かと思ってしまいます。すごい。
向かいに展示されている、等伯の松に秋草図も、異様にモダンで圧倒されます。
ついでのつもりで観た障壁画が思わぬ拾い物となりました。
智積院会館で昼食にします。桔梗うどんを頼みます。よもぎ麩、粟麩、巻き湯葉、もみじ麩が入っています。
なんか、だしにお酒が入っていたようで、思いっきり酔っ払いました。これじゃ運転できないので、LXを取り出してぷちぷち。


建仁寺

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少し北上し、左に折れて建仁寺へ入ります。境内は自転車を押します。法堂天井の双龍図は平成14年に描かれたものだそうです。方丈まで進みます。



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あっさりと枯山水の庭園があります。大雄苑と言うそうです。
建仁寺を出て、祇園を抜けて行きます。鴨川沿いに北上し、橋を渡って魯山寺へ行きます。今日明日は拝観を中止しているようです。前来たので、次の目的地大仙院へと進みます。


大徳寺大仙院

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大徳寺をうっかり通り過ぎ、取って返して門前にBD-1を停めます。延々大仙院まで歩きます。大徳寺の一番奥近くの一角に大仙院はありました。
団体が多いようで、「個人でも拝観できます」と書かれています。「個人一人」と窓口で告げます。
窓口の寺男が立って、ご案内しましょうと言って先に進みます。一人なのに。思わず振り返っても、他にいないようです。お礼を言って付いて行きます。
方丈は間もなく500年になる建物で国宝だそうです。
茶室は、千利久が秀吉をもてなしたものだそうです。花を飾るように言われ、利久がこの石の上に置いて水をかけましたと、見て来たように説明してくれます。
建物をぐるりととりまく周囲を枯山水の庭にして、白い石で水の流れを表わしているそうです。蓬莱山の滝から流れ出した水が橋の下をくぐり、堰を越えて流れて行く様子がよく分かります。確かに、こりゃあ面白い。
滝の周辺は大小多くの石が置かれています。水が流れて行くと徐々に石が減って行きます。
北の書院拾雲軒を見せてもらえました。ここに七代目住職沢庵が住んでいたそうです。武蔵に会った場所ですと、見て来たように説明してくれます。
拾雲軒には、現在の住職の筆によるものが多くかけられています。これがなかなか面白いです。
気は長く心は円く腹を立てず人は大きく己れは小さく、と漫画文字のように書かれていて、笑えます。



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書院を出ると、滝から流れた水の行く先は石が減り、角を曲がると石がなくなってしまいます。
さとりの世界です、とギャグのように軽く笑います。この寺男、観光サラリーマンにしては侮れません。目がしっかりしています。
枯山水の白石で作られた水の流れは、大仙院正面の庭では海になっています。右端に、沙羅双樹と書かれた木が立っています。
この庭園は、大仙院開祖の正法大聖国師古岳宗亘によるものだそうです。あと5年で500年との説明の通り、1509年に開かれたようです。
説明は多少煩瑣で、やや観光客向けですが、人の目を見て話す男は好印象です。
庭園も異様に分かりやすいのが凄いです。大徳寺侮り難し。


龍安寺

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大徳寺を出て、西へBD-1を走らせます。メジャーどころの龍安寺を押さえに行きます。
観光客が沢山います。何度か来たことがあるので、すぐに出て来てしまいました。


等持院

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龍安寺から何度も地図とGPSを確かめながら等持院にたどり着きました。直線距離はすぐ近くなのに、自転車では大回りになってしまいました。
等持院は足利尊氏が天龍寺の夢窓国師にお願いして創建されたそうです。
方丈の北にある庭園は心字池に亀島のある夢窓国師作の庭が残っているそうです。中ノ島には最初観音閣があったそうで、今は礎石だけが残っているそうです。



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西側の庭は面白く、芙蓉の花を形どった島が池の中に大きく広がる構造です。奥の清漣亭という茶室は、1457年に復興したときに追加されたそうです。
建物から庭を眺めた跡で、サンダルを履いて庭を散歩できるようになっていました。夕陽が清漣亭を照らしています。庭を歩くうちに、日の光が庭に差さなくなってきました。


時間切れ

等持院を出て、南下します。妙心寺は拝観受付4時までのようですが、既に4時半を回っていました。
帰ることにして、東へ向かい、麺BAKA一代から南下してJR京都駅へと戻ります。


今日のルート

ハンディGPS「etrex VISTA 日本語版」のトラックデータ(trk40201.trk trk40201.zip 7,830bytes)をカシミール3Dで表示し、注記したものです。
まあ、イラストマップのようなものなので、正確な道や細部は、別途正確な地図をご参照ください。
距離は31.4km、移動平均速度は14.3km/h、移動時間2h11m、停止時間4h18m、全体平均速度4.8km/h、最高速度35.7km/h、総上昇量244mでした。
輪行写真


文市の小箱茶室ケーキ小箱LX紅茶読書[自転車]-[輪行76]/ 好み他伝言板リンク

文市(あやち)=青野宣昭