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湖東三山

輪行写真


最後の夏休み

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風邪で土日寝ていました。治らないものの、今日はおさんぽです。
琵琶湖の東のお寺を回ります。
河瀬駅で降りてBD-1Cを組み立てます。出発。道が狭いです。こっちで合っているのかな。
やがて畑の真ん中の細い道をどこまでも進んで行きます。案内板も何もありません。途中で不安になって立ち止まり、ツーリングマップルを見てみます。方向は合っているようです。
国道に突き当たり、少し右に行くと西明寺さんです。


西明寺

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入り口に自転車を停め、長い参道をだらだら登り、拝観します。鎌倉時代初期という本堂の中では色々説明してくれます。
国宝第一号指定だそうです。本堂の中に並んでいる十二神将の額には干支の動物が乗っています。ギャグとしか思えません。
本堂、三重塔、二天門はいい味わいです。信長の比叡山焼き打ち直後の百済寺焼き打ちで辛くも焼けずに済んだそうです。
834年に三修上人が仁明天皇の勅願により開創したそうです。
(それにしてもLinux Zaurus SL-C760のかな漢字変換辞書は必要な単語が全然足りなくて使い物になりません。ケータイ話し言葉ばかり出て来ます)


西明寺三重塔


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鎌倉時代後期の三重塔は屋根の反りのバランスがおもしろく、桧皮葺きの屋根にしては華麗な姿です。
下から登ってくると正面に三重塔が現れて、思わずホウと声にしてしまいました。
*istDと43mmLimitedレンズで撮ろうとすると、どうして収まり切らないです。
35mmフィルムと異なりAPSサイズCCDのため、1.5倍して考えないといけません。
28mm-70mmF4.0のズームレンズに付け替えます。これだと、一番広角側で35mmフィルム換算43mm相当になり、良い感じの画角になります。
MZ-5のときはほとんど使わなかったこのズームレンズも、*istDだと大活躍です。
西明寺を出て、門前のそば屋でおろしそばを食べます。今日は駅からの出発が正午と遅いです。


金剛輪寺

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腹を満たした後で走りだします。金剛輪寺まで車通りの多い国道を走り抜けます。門前に自転車を停めます。
拝観はここも500円です。まずは庭園へと進みます。ここの紅葉は「血染めのもみじ」と言われ、真っ赤だそうです。
庭園で住職の説明テープのスイッチをONにして、縁側に座ります。
説明の通りに、桃山、江戸初期、江戸中期の三庭が順番にあらわれる作りになっています。おもしろい。
夫婦松は空高くそびえています。金剛輪寺は聖武天皇の祈祷寺として行基菩薩が741年に開山したのを始まりとするそうです。
本尊は行基菩薩の作と伝えられ、一刀三礼刻んだところ、血を流して魂が入ったそうです。なんだかよく分からない伝説ですけれど、血染めのもみじもここから来ているようです。


千体地蔵

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庭園の奥に進むと、散策路を経由して本堂への参道へ戻れます。
参道の手前で千体地蔵がずらりと並んでいます。参道の両側にもとぎれることなく地蔵が並びます。


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どのお地蔵様にも風車がお供えしてあります。300mの長い参道を登るにも、木漏れ日が当たるお地蔵様に心奪われ、あまり長い気がしません。
焼き討ちを逃れた本堂に入り、内陣へ歩を進めてお参りします。十一面観世音立像は丸顔で柔らかな姿を見せています。


金剛輪寺本堂

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本堂と三重塔は木々に包まれ、とりわけもみじが緑色に輝いています。紅葉の季節はさぞかし綺麗なことでしょう。


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長い参道を下ります。千体地蔵は幻想的です。境内に茶屋などもありますが、そばをたぐったばかりなのでスルーして出て来てしまいます。
国道に出て、次の百済寺を目指すことにします。
国道は路肩が狭く、トラックが多く、辟易して山側の農道に逃れます。道が続いておらず、また国道に戻ってしまいますけれど、なるべく田んぼの中へと逃げるようにします。


近江米

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近江米の田は、刈り入れが半分ほど済んでいます。刈り入れを待つ稲穂は金色に輝いています。なんて美しいんだろう。
赤トンボが沢山舞っています。んん、もう秋なんだよなあ。
百済寺の標識に従い左折します。道は徐々に上りになっていきます。GPSを見ると、方向が外れている感じです。百済寺丁という住所へと向かっています。


百済寺

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どうやら裏山から百済寺に入るルートをとってしまったようです。登り坂で頑張って踏んで、ようやく百済寺の前にたどり着きました。秋の花が咲いています。
「くだらでら」ではなく「ひゃくさいじ」と読むようです。
門から本堂まではまた登りです。ひいこら言いながら石段を登ります。
本堂はやや荒れています。百済寺は、聖徳太子の御願により創建されたとあります。近江最古の寺の一つだそうです。
平安時代に比叡山に天台宗が開創されると、天台宗となり、湖東の小叡山と称されるほど壮大な寺院になったそうです。
元亀元年秋、佐々木義治が信長に抗して鯰江城に入ったとき、百済寺は妻子を預かったり兵糧を送って援護したため、信長の焼き打ちにあい、一山悉く焼けて跡に荒涼人影も見なかったと言います。
慶安3年に今の本堂が竣工されたそうです。
誰もいない本堂を後にして、下りて貴見院の庭園を見ることにします。
参道の登り下りは実のところ結構な運動になります。足首への負担だけでなく、足の裏にはマメができかけたりしてしまいます。
昭和15年に現在の建物に移転改築されたという貴見院の前まで戻り、庭園に入ると疲れ果てて座り込んでしまいます。
湖東三山を巡るのは徒歩の登り下りが大変だと分かりました。
庭園の山上までよろよろと歩いて登り、振り返ると素晴らしい眺望が待っていました。


安土一望

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遥か彼方に琵琶湖の水面が輝き、さらに遠く背景には比叡山が尖った姿を見せています。やや右手手前には安土城跡です。
景色の説明を眺め、ふと振り返ると、信長公記などが書かれています。
信長がいかに凄まじい行いをしたか、淡々と記述されています。
疲れた足でのろのろと門前に戻り、水分補給してから出発することにします。
百済寺から下り坂を一気に下りきります。東海道線まで戻らないと帰れません。
強い向かい風を受けながら、どこまでも続く平地の道を進みます。GPSを見ながら適当に道を決めて進みます。
早くも夕陽がまぶしく田畑を照らしています。もう夕方だなあ。
身体がえらいです。しんどい。どこまでも平坦な地形と向かい風は気力を奪っていきます。
能登川駅へ3.4kmの表示を発見。今日はとりあえず伊庭内湖の水車をゴールにしよう。そう決めて、くるくる回します。狭い道ですけれど、自動車は自転車に親切な走りをしてくれます。国道のトラックとはだいぶ違うな。
能登川駅前をスルーして琵琶湖方面へと進みます。伊庭内湖まですぐ近くのようで意外に距離があります。というか、疲れているんだな。


能登川水車

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自転車道「琵琶湖よし笛ロード」を見つけ、能登川水車の前にたどり着くころには、もう夕陽は沈みそうになっていました。
ベンチに座り地図を見て、安土駅から輪行して帰ることにします。
自転車道を走って行くと、道は左折し、山の方に進んで行きます。げげ、もう登りは走れないよ。
自転車道は安土城跡の前まで続いています。


安土城跡

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安土城跡は、大きな看板だけで、何もありません。
ここに信長の安土城があったんだ、豪華絢爛な天守閣、わずか3年の城が。
日も落ちてしまいました。ここにいても何もないので、安土駅まで一走りすることにします。
安土駅でBD-1を折り畳んで、輪行です。各駅網干行は、高槻から快速になります。混んでいる新快速には乗り換えずに、座席に身体を埋め、SL-C760を取り出しパチパチと打ちます。


今日のルート

ハンディGPS「etrex VISTA 日本語版」のトラックデータ(trk30922.trk trk30922.zip 10,613bytes)をカシミール3Dで表示し、注記したものです。
まあ、イラストマップのようなものなので、正確な道や細部は、別途正確な地図をご参照ください。
距離は48.7km、移動平均速度は19.7km/h、移動時間2h28m、停止時間1h39m、最高速度39.4km/h、全体平均速度11.8km/h、総上昇量332mでした。
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文市の小箱茶室ケーキ小箱LX紅茶読書[自転車]-[輪行68]/ 好み他伝言板リンク

文市(あやち)=青野宣昭