文市の小箱茶室
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●片鉄ロマン街道
ロード試乗
東京ですばちゃんにワイズバイクパークまで連れていってもらい、COLNAGOアクティブベローチェに試乗してきました。とにかく走りが軽いのに驚きました。一日100km以上のロングライドを、もっと速く、もっと快適に走りたいと思うと、ロードが欲しくなります。とはいえ、レースに出るわけではありません。今より六甲山を楽に登れ、淡路島を速く走ることができれば満足です。
片上鉄道
だいぶ涼しくなってきたので今週は一日だけ自転車通勤しました。大阪の仕事で事務所のある三宮に戻れないことも多いので毎日とはいきません。明日は日曜だというのに仕事、ストレスが溜まるので今日はとにかく朝から自転車担いで出かけます。
甲子園口から西へ。芦屋でなぜか新快速に接続します。8月の時刻表と大分違っているようです。当たり前か。名物駅そばをすすります。和そばの方が好みですけれど、空気が冷えてくると温かさが心地よいものです。
赤穂線の西片上が片上鉄道跡としては本来の出発地点なのですけれど、そこまで行く赤穂線を待っていると1時間以上接続待ちになりそうです。山陽線で和気まで輪行することにします。糸崎行普通列車は乗客が多く混みあっています。鉄道の日JR西日本乗り放題きっぷの人でしょうか。h4150のぷちぷちキーボードで輪行記を綴ります。速打ちするとキーを取りこぼしがちです。そのうち面倒くさくなってDecuma Japaneseに切り換えます。
片上と柵原とを結ぶ同和鉱業片上鉄道は平成3年になくなるまでは、西片上から和気を通り、柵原へと続いていたそうです。今では片上ロマン街道と称してサイクリングロードのようになっているらしいです。
和気
和気駅で下車、自転車を組み立てます。たいした距離ではないので一度片上まで下ってみることにします。
駅から西へ出て南側へ回ると、自転車道らしき道に出ます。やがて「片鉄ロマン街道」の標識を見つけます。Bingo!
気持ち良い秋空の下、BD-lを走らせます。わずかな上り勾配を進むうち、トンネルがあります。峠清水トンネルからは延々下り。赤穂線をくぐった所で途切れています。
ここが出発点備前。ここから柵原まで、片上鉄道跡が自転車道になっているようです。学校の校庭の横をスタート、ゆるやかな上り坂を進みます。
備前サイクリングターミナルがあり、MTB風の自転車が停まっています。ここまで何台か自転車とすれ違って来ましたけれど、たいてい軽快車でした。片鉄ロマン街道の脇には線路だった頃の名残りがあります。
少し行くと勾配標は28パーミルを表示しています。ここが片上鉄道でー番急だったそうです。
峠清水トンネルを抜けて下り基調で和気まで走ります。そのまま先へと進みます。
片鉄ロマン街道
片鉄ロマン街道は吉井川に沿ってずっと続いています。田んぼはほぼ刈りいれが済み、沿道にはコスモスが咲いています。干しているわらが良い匂いです。空が全面に青いです。左右の小山は急ながら丸い形で、岡山を実感します。
自転車はあまり走っていません。状態の良い道で、自転車道の案内の標識や路面に描かれた案内はおしゃれな色づかいで、とても分かりやすいです。迷うことはありません。夏に伸びただろう草もきれいに刈られています。大変良いサイクリングロードです。
さわやかな風を楽しみながら、吉井川の川面や、左右の丘の緑、田園風景や木々のトンネルの中を走ります。片上鉄道の駅跡やトイレも整備されています。柿の実は色づき、風は半袖ジャージに少し寒さを感じるくらいです。
時々降りて写真を撮っているうち、うっかりデジカメを落としてしまいました。Caplio R1の電池蓋をとめる爪が割れて、きちんと閉まらなくなってしまいました。早くも壊してしまった。タイヤ補修用のガムテープを貼って急場を凌ぎますけれど、バネの力でどうしても開いてきてしまいます。高さ50cmからアスファルトに落としただけで壊れてしまうなんて脆弱な。コンパクトで広角も使え、リコーらしくマクロも充実して良いデジカメだったんだけどな。
吉井町のかかし
吉井の河川公園の土手に、様々なかかしが並んでいます。コスモスまつりだそうです。地域住民が河原を清掃し、コスモスを植えているそうです。
気持ちの良い、きれいな自転車道の周りがこうやって実現しているのでしょう。良い町です。
柵原(やなはら)ふれあい鉱山公園
片鉄ロマン街道の終点は、吉ヶ原駅舎と操車場跡の公園です。貨車や客車は動態保存されているそうです。自動販売機でカルピスウォーターを買ってー気飲みします。せっかくなので有料の鉱山資料館に入ってみます。窓口で入場料を払うと、副館長さんが、丁寧に説明をしてくれます。鉱石を持ち上げてみると、なるほど重いです。柵原鉱山が最も盛んだった昭和30年代の町を再現したコーナーがあります。小さな自転車屋に入ると当時の会話が流れます。古いポスタアが面白いです。鉱山と言うと暗く悲惨なイメージがあったのですけれど、柵原鉱山は東洋一と言われ、文化クラブなどもあり、集会所には東京から歌手が来たり映画を上映していたそうです。社宅が四畳半と六畳のニ間で狭いことくらいで、今のスーパーマーケットにあたる供給所は岡山でも-、二の品揃えだったそうです。
副館長さんが案内してくれた映像コーナーで柵原鉱山の概要を学びます。平成3年に閉鉱なので、つい最近まで採掘していたわけです。稲の化学肥料の硫安の原料となったため、食料難の時代に昭和天皇が来たこともあるそうです。
映像コーナーの後はエレベータで地下に降ります。このエレベーターが凝っていて、坑道を降りるような放送が流れます。副館長さんは階段を先まわりして、地下の展示も詳しく説明してくれます。落盤事故死がー度もなかったというのは驚きでした。幅2.3m、高さ2.5mの横抗を深さ15m置きに削岩し、硫化鉄鉱の鉱床を採掘しては地盤沈下を防ぐため埋めていたそうです。常に最新の設備で、地下深くまで完全に換気が行われていたそうです。鉱石運搬のトロッコも提案活動により45度に傾ぃて鉱石を下ろせるよう独自に製造されていたそうです。
安価な輸入硫化鉄鉱が入るようになり、やがて石油から簡単に硫酸を生産できるようになり、柵原鉱山は閉鉱になります。
つぼや
柵原町鉱山資料館を出るともう2時です。つぼやというレストランを見つけて入ってみます。串かつ定食を頼むとボリユームたっぷりの串かつ二本出てきます。うまい。満足して、柵原からさらに北、津山を目指すことにします。
津山
柵原から津山への道も自転車で走りやすい道でした。川沿いで景色も良いです。
ところが柵原から向かい風が強いです。かなり強烈。時速l5kmくらいでのたのたと進みます。津山駅に着いたら15時半になってしまっていました。自走で佐用へ回るのはあきらめ、津山城跡に行ってみることにします。出発は備前でしたけれど、ここは美作になりです。津山城へ行ってみると、石組の残る巨大な平山城跡でした。本丸に登ると津山市街が一望できます。備中櫓の復元建築中のようです。
あまりのんびりせずに駅に戻ります。16時半過ぎ佐用行ワンマンカーに乗れば、佐用で普直に姫路行に乗り換えられます。本赦の少い姫新線輪行のいい機会です。
今日のルート
ハンディGPS「etrex VISTA 日本語版」のトラックデータ(trk41016.trk trk41016.zip 12,375bytes)をカシミール3Dで表示し、注記したものです。
まあ、イラストマップのようなものなので、正確な道や細部は、別途正確な地図をご参照ください。
距離は67.3km、移動平均速度は19.7km/h、移動時間3h25m、停止時間2h15m、最高速度34.8km/h、全体平均速度11.9km/h、総上昇量468mでした。
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文市(あやち)=青野宣昭