FOFFの館から帰宅し、雨の一日を寝てすごしてから、連休の最終日は京都へ行くことにした。
京都がすぐ近くになった。高円寺に住んでいたときの感覚で言うと、大阪に出るのが新宿にでるようなもので、京都に出るのは吉祥寺に出るような感じだ。散歩気分で出かけられるのは幸せだ。
とりあえず、一澤帆布に向かったのだが、残念ながら臨時休業だった。
そこで、源氏物語に凝っている身としては、まっすぐ宇治に赴くこととした。
京都から奈良線快速で一駅、20分程度。
けれど、平安時代にこの距離はつらい。宇治十帖の薫はよくもこんな所まで山を越えて通ったものだと感心するほかはない。ちょっと今夜は夜這いしようという距離とは違う気がする。
駅を下り、まずは「源氏ミュージアム」といういかがわしい名の建物に行ってみる。
予想に反して、宇治市による資料館だった。丁度映画が始まるとのこと、映像展示室に急いだ。30分弱の「浮舟」を観る。著名な人形師による人形、有名女優の声の出演と、妙に頑張って作っている。ミュージアムの目玉として金をかけたのであろう。
源氏物語の頃の室内の様子が実物大模型で展示されていた。「几帳をひきよせ」とか「脇息にもたれ」という描写が実感され、収穫だった。
入場無料の図書室には源氏物語関係の書籍がことごとく並んでいる。これは便利だ。5種類も漫画化されていることをはじめて知った。牧美也子によるものは独特で、その他は学習マンガ風のが多かった。他人にすすめるならやはり「あさきゆめみし」になりそうだ。
瀬戸内氏の書斎を模した部屋というのが図書室の隣にあり、(あんなのはエセ尼ライターだ)と思っているぼくはあまり気分が良くなかった。
ミュージアムを出たぼくは、宇治橋のたもとの通円茶屋で団子と抹茶をたのんだ。家の手伝いかバイトか、12〜3才のかわいい娘さんが運んで来た団子をいただき、宇治川の流れを眺めた。
浮舟が身を投げる川にふさわしく、宇治川の流れは速く激しく、何かを飲みこんでいくような水量の多さだ。
案内図を見て、中洲の公園を通って平等院を見ようと決める。
ぶらぶらと歩いて、宇治神社で「源氏 ろまん みくじ」を発見。商業主義に踊らされ、いそいそとおみくじをひいてみる。カラフルで匂いのついたおみくじを渡された。澪標で大吉。気をよくして歩く。平等院の前の宇治市観光協会の売店で「宇治十帖の風土」「宇治茶の文化史」の2冊を買う。宇治市文化財愛護協会発行とか、宇治市教育委員会発行というレアアイテムである。しりょう、資料。(^^) なんだかコミケに来たような気分でいる。日本の流通事情のため、本には、簡単に手に入るものと、そうでないものがある。資料の収集に金を惜しむのは愚かだと自分を納得させる。
思えば、源氏物語とお茶の二つを堪能できるとってもお得な小旅行である。
平等院はめちゃめちゃ混んでいた。拝観は入場制限となっていた。時間はあるので並んで見た。遅い昼飯にと、平等院前で茶そばならぬ茶うどんを食す。URLが壁に貼ってあるのには驚いた。
帰りに土産物屋を覗くと、「5月2日の新茶ですよ〜」とすすめられ、見ると「新茶 推奨煎茶 源氏物語 宇治十帖」とある。とっさに「ひとつ下さい」と買ってしまった。むう、マルチグッズならなんでも手を出してしまうのに似て、源氏の一言で散財してしまっているようだ。われながら可笑しい。(^^)
帰宅して飲んだお茶は、いつものスーパーの安売り深蒸しやぶきたとは異なり、香りが良く、美味しかった。
宇治を後にして、隣の黄檗に向かう。徒歩か電車か・・・宇治橋から京阪電車が見えたことを思い出し、そちらへ向かう。JRより本数が多いかな、という読みだ。すでに各駅停車がホームで待っていた。
黄檗に行くというのは、朝は全く予定していなかった。一澤帆布から地下鉄に下り、駅すぱあとポケットで東山から宇治を検索して停車駅を確認していて気付いた。
学生のとき坐禅部で、臨済禅しか知らなかった。禅宗には臨済、曹洞の他に黄檗宗があるという。黄檗宗はここ黄檗にのみ伝わっているように聞いていた。詳細は知らないが、噂ではそれなりに修行がしっかりした形で行なわれているらしい。滅び行く宗派というのでもないらしいので、興味があったのだ。
京阪では、向かいの女の子二人組みがお年寄りに席をゆずっていた。見ていて好ましい。東京の暮らしが長く、関西は初めてのため、どの路線がどういう雰囲気であるとか、どの街にはどういう人が多いとかいったことが全く分からない。街歩きの趣味を復活させる時期なのかもしれない。そういえばケーキ屋さんの食べ歩きも絶えて久しい。
黄檗で降り、案内板を見て黄檗山萬福寺に向かうが、ついつい駅前の市場に足を踏み入れてしまう。寄り道は街歩きの基本、好奇心を持って店を覗き込むのが楽しい。
大本山萬福寺に着く。でかい。
国宝も観光客も合わせて寿司詰めの平等院とはうってかわって、日本の黄檗は静かな山のようだ。三門の聨にまず目を引かれる。小さな木辺に読み方と訳が記してあり、分りやすい。聨は日本の寺のものとは思えず、色合いは中国風だ。
いや、建物自体がどこもかしこも日本離れしていて、中国の寺に突然迷いこんだようだ。パンフレットによれば、開山の隠元禅師はもちろん、江戸初期から中頃にかけて黄檗山歴代住持のほとんどは中国から渡来した僧侶だという。修行の内容も、その伝統が受け継がれ、儀式作法は今日の中国や台湾、東南アジアにある中国系寺院で執り行なわれている仏教儀礼と共通しているそうだ。
隠元禅師の筆とは異なりやや崩した感じの文字の聨は、二代目住持木庵禅師によるもののようだ。この辺は額も含めてたいてい重要文化財に指定されている。
なお、一切経で有名な鉄眼禅師は木庵禅師の弟子だそうで、一切経の版木も保存されているそうだ。宝蔵院には時間がなくて寄れなかったが、明朝体活字の源流と聞くとぜひ見に行きたいものだ。今度は要予約の普茶料理もためしたい。
黄檗山内は掃除が行き届いている。僧の修行が想像された。恐らく早朝に起きて坐禅、朝のおつとめ、そして作務で掃除をするのだろう。この広い山に塵一つ残さず掃除しているのは修行がしっかりと行なわれている証左ではないかと思われる。
本堂、法堂、禅堂と見て回る。やはり日本の寺の様式と異なっていて、卍崩しの欄などは面白い。
少し椅子に座って、静かな山を楽しむ。修行にきたのではないから気楽なものだ。
売店で黄檗宗壇信徒勤行聖典と、総長のミニ色紙を買う。しりょう、資料。(^^) 勤行聖典の構成は臨済禅と良く似ていた。
有名な大きなおさかなさんの吊るし木魚よりも、禅堂、西方丈など五ヵ所に吊られている巡照板に興味をひかれる。おなじみの文句だが、中国語読みで諷経するのが目新しい。
謹白大衆(きんぺだーちょん)句意は、
生死事大(せんすすーだ)
無常迅速(うーちゃんしんそ)
各宜醒覚(こーぎしんきょ)
慎勿放逸(しんうふぁんい)
謹んで大衆に申し上ぐ。まったく、その通りではある。
生死は事大にして、
無常は迅速なり、
各々、覚醒して、
無為に、時を過ごさぬように。